愛・地球博行き中止と日帰り「曾我蕭白 - 無頼という愉悦 - 」展

▼一晩経っても廉の熱が下がらず、ギリギリまで様子を見たものの、結局、愛・地球博行きは中止。ホテルのキャンセル料はかかるが、廉が動けないなら行ってもしょうがない。ただ、俺もせっかく早起きしたし、旅行できるように仕事も片づけていたので、日帰りで京都の「曾我蕭白 - 無頼という愉悦 - 」展は見に行くことにする。とりあえず、今から出かければ、2〜3時間は見られるだろうということで、急いで東京駅へ。

▼新幹線は空いていたので、スムーズに京都に到着。3時40分には京都国立博物館の前に立っていた。京都の日帰りは、もう5回目くらいだし、札幌の日帰り取材も経験してるせいか、特に何ということもなく(交通費だけが痛いけど)、まるで近所の美術館に行くような感じ。荷物も、手帳と文庫本とiPodとデジカメだけだし。

▼ということで「曾我蕭白 - 無頼という愉悦 - 」展を見た。凄かった。つうか、これは本当に見た方がいい。俺は俺で、これまで数点の蕭白の絵は見てたし、画集や写真でかなりの作品を見知っていた。でも、それは見知っていただけでしかなかった。コレは、現物見ないと分からない。現物見れば分かる。ビックリした。随分、蕭白に対して考えていたことが変わった。色んなことが分かった。まず、どの作品もデカイのだ。データとして知ってはいたけど、朝田寺の「唐獅子図」がこんなに大きいとは思わなかった。このサイズであの顔なのだ。このサイズであの描線のスピード感なのだ。そして、大きいから近くで見ると、細部も本当に大きいのだ。で、細部を凝視すると、色んなものが見えてくる。もう、本当に色んなことを見つけた。もう論文書けるくらい、色んなことを考えた。何て面白いんだろうと思った。普通に見てたっぷり2時間。出来ればもう二周くらいしたかったけど、体力が続かない。でも、もう一回見に行きたい。

▼気がついたことを全部ちゃんと書くと論文になっちゃうので、とりあえず備忘録的なメモを。

  1. 蕭白の絵は近くで見る方が面白い。その「近く」は、多分、蕭白がその絵を描いた時の絵と蕭白の距離。その距離で見ると凄く色んなことが見えてくる。タッチや描線はもちろん、ディティールの必然性とか、その積み重ね方、省略などが全部見える。凄まじくファンタスティックで楽しい。筆は運びの際に動く空気まで見える気がする。
  2. 獏や鳳凰、蝦蟇、鬼などの想像上の生物を描く場合、蕭白はその細部までリアリティを追及することはせず、どこか歪さを残して描く。「想像上の生物」と「そこにいる生物」は存在次元が異なっているという点に対して、凄く正面から向き合って描いているように見える。
  3. 同様に、山水画では、自然と人工物の間にハッキリとしたタッチの差違をつけている。それはもう律義にやっていて、しかも、別にどちらかを否定しているわけではないらしい。ただ、自然の中に人工物は溶け込まないし、人工物は人の営みとして自然とは別物であるということに関して、一切の妥協が無い。
  4. 山水画には、必ず人間が沢山描かれる。どんな深山幽谷でも人が住んでいて、そこには人の普通の営みがあるとか、そういうことかとか思う。
  5. 「群仙図屏風」は実物のタッチとかを見ないと、その凄さの半分も分からなかった。驚いた。西王母のセクシーさとか蝦蟇の質感とか黄色い鶴の異様さとか人と怪物の対の面白さとか。
  6. 縦長の「鉄拐図」と立川談志の「鉄拐」に通じる、仙人の仙境にあるからこその無聊と孤独。で、しょうがないから自分を出して眺めて遊ぶ。その「何だかなあ、でも、まあ」的な表現は談志師匠の業の肯定とも通じるし、「月下狸図」の狸とか、「太公望図」の太公望仏頂面とか見ると、蕭白もそういうこと考えていたような気がする。これらの絵の気持ち良さの原因かと。
  7. 「野馬図屏風」という金屏風に墨で描いた沢山の馬が勝手気ままに戯れて遊ぶ絵があって、こんなにも楽しそうで可愛い馬の絵は初めて見たと思った。野馬だからこその自由と奔放。対比するのは「牧馬図」。人に飼われ走らされる馬のスピード感と暗い表情。「野馬図屏風」は競馬ファン必見かもしれない。
  8. 「紅葉狩図」と山田風太郎の「柳生忍法帖」のセクシーの類似。

▼他にも色々あったけど、説明が長くなるので省略。ともあれ、「曾我蕭白 - 無頼という愉悦 - 」展は行った方がいい。土曜の午後でもガラガラだったのが信じられない。行列覚悟で行ったんだけど。図録も、ちゃんと大きく印刷されていて、拡大写真も多く、「蕭白は近くで見ろ」と思う俺は間違ってないなと思った。しかし、この折り込みページも豊富な図録が2500円(税込)というのは驚く。出来れば数冊買って配りたいくらいだったけど、重いので自分の分だけ購入。

▼帰宅したら、まだ廉は熱が下がっていない。かみさんと喋って、日記とか書いて、仕事もして寝る。それにしても、泣きながら「愛・地球博」を諦めた廉は偉かったと思う。ここで諦めるということは、「愛・地球博」は行けても、同時開催の期間限定ポケモン・テーマパーク「ポケパーク」にはもう行けなくなることを意味する。それが分かった上で、泣きながらでも納得して、気分を変えて笑いもする廉。子供の頃って、こういうのって時々あるんだけど、それにしてもかわいそうではあった。月曜も学校は休みだから、どっか近場でも楽しい所に連れていってやれればと思う。