夏の大茶会最終日とSWA SHUFFLE

OZONE夏の大茶会が最終日なので、夕方、ちょっと顔を出す。Formosa Tea Connectionのルミさんが満面の笑みで片づけをしていた。そこで茶杯の3個セットを入手。海風號でもお土産をいただき、明日の約束をしたりする。何となく、色んな人と喋ってる間に、思ったより時間が経ってしまって、慌てて大江戸線都庁前駅へ。

国立演芸場で行われる「SWA SHUFFLE」を見に行く。SWAからメガネの二人(昇太&山陽)を抜いた三人による公演。今までSWAで作った新作落語を、シャッフルして、初演時と違う人が演じるという趣向。三人が各二席づつ、計六席の豪華版。まずは、喬太郎師匠が登場して、彦いち師匠作の「臼親父」。猿蟹合戦を使ったセラピーセミナーを落語化したような話で、彦いち師匠が迫力と情けなさのコントラストで演じていたのに対し、喬太郎バージョンは、昔話パロディ風の淡々としたスタイルでブラックに語る演出。上手さが仇になる話を選んで上手さでねじ伏せようとする心意気が好き。大体成功してるし。続いて、白鳥師匠で「駅前そだち」喬太郎師匠作の地味な人情噺。これは、行けなかった第一回目のSWA公演の時のネタなので、喬太郎師匠がどう演じたのかを知らない。何となく予想は付くものの、何せ白鳥師匠を通して喬太郎師匠を想像するというのは、かなり難しい。白鳥師匠も、そう上手くやれてたような気はしないし。で、彦いち師匠は、白鳥師匠作の「奇跡の上手投げ」。大事なサゲへの伏線を言い忘れていて、後半グダグダだし、いじめっ子のネタも振り忘れがあって、噺になっていなかった。結構キャラは合ってる話だけに、もったいなかった。中入り後は、再び喬太郎師匠で、神田山陽はだかの王様。これ、ラストで実際に裸になる噺なのだけど、それ以前は、浅野匠守といじめられっ子を上手く重ね合わせたタイムスリップ人情噺。喬太郎師匠の無駄に上手い語り口の上手さを逆手に取った下らないギャグなどで、全体をうまくまとめて、多分初演以上の出来に仕上げていた。オチも作って、脱がないで良いように変えていたし。つーか、脱ぐ方向に持っていく山陽師匠の方が、構成に無理があったというか、脱ぐために無理したというか、そういう噺なので、喬太郎バージョンの方が流れも自然なのだった。でも、無理に脱ぐ山陽バージョンの方が好きだけど。次は、彦いち師匠が、昇太師匠作の「群青色」を演じる。今回、喬太郎師匠も彦いち師匠も言っていたが、「臼親父」「はだかの王様」「群青色」は、どれも噺の構造が同じなのだ。悩みを抱えた主人公が、別世界で別の体験をして、生きる気力を取り戻す、といったパターン。「人生が二度あれば」「おやじの王国」など、昇太師匠の新作に多いパターンだけど、まあ、現代新作落語の一つの定石なんだろうと思う。その「群青色」だが、絵の具の「使われることが幸せ」という、「キレイ」の大豆兵みたいなネタがメインの噺で、彦いち師匠に合っているせいか、これはかなり面白かったと思う。昇太師匠と彦いち師匠は、実は得意技が多少かぶるんだな、ということに気が付いた。最後は、白鳥師匠で「真夜中の襲名」。これは、彦いち師匠の作だが、最初に聞いたときから、なんとなく白鳥師匠の「任侠流山動物園」に似てるし、元は正蔵襲名ネタだし、白鳥師匠向きの噺だなあと思っていたのだけど、こうやって聴くと、つくづく、白鳥師匠にはこういうネタがよく似合うと思った。まあ、より白鳥色が濃くなるように作り変えてもいたけど、最近の白鳥師匠の、人間以外の生き物を主人公にした落語の完成度は本当に高い。今回の「真夜中の襲名」も、本当に凄かった。もしかしたら、この面白さは落語ではないかもしれないけれど、擬人化というのは、こういうものだ、というのを見せ付ける、その身も蓋もなさが、とても好きだ。

▼終演後、魚輪君と赤坂見附までフラフラ歩いて、目に付いたイタリア料理屋でパスタ食って、地下の怪しいカップル喫茶みたいなところでケーキセット食いつつ、また、だらだらと喋り倒す。先週、今週と二週続きで魚輪君と喋ってるが、こういうのは週一くらいでやったほうが良いというか、やるべきかも知れない。何かのためになるような気がする。